Tut mir leidという表現が好きになれない

Tut mir leidという表現が好きになれない

ドイツ語では「ごめんなさい」
Tut mir leid(トゥートゥ・ミア・ライド)”と言います。

これは直訳すると、“そのことは私とって残念です”といった雰囲気。

私はどうもこの表現が好きになれません。

え、全然謝罪っぽくないじゃん!と思わずにはいられないのです。

今日はドイツ語の謝罪表現にまつわる私のエピソードをお話しします。



ドイツ語の謝罪表現

ドイツ語の謝罪表現は、冒頭で紹介した”Tut mir leid”の他にもいくつかあります。

普段は省略してしまっている主語をちゃんと言うパターンの”Es tut mir leid”。

「とても」の意味の”sehr(ゼア)“をつけたした”(Es) tut mir sehr leid”。

ちなみに最後の”leid“という単語は「残念な」という形容詞で、
「残念ながら~」みたいな表現をしたい時もそっくりの副詞”leider”が使えます

さて、話が若干逸れましたが、これらは全て英語でいう”I’m sorry”にあたります。

一方で人にぶつかった時や、ちょっと話しかけたい時の軽いニュアンスの
「ごめん(英語の”Sorry”)」は”Entschuldigung(エントシュルディグング)”が一般的。
※他にも”Verzeihung(ヴェアツァイウング)”とかもありますが、めったに聞きません。

ワンランクアップした「ごめんなさい・すみません(英語の”Excuse me please”)」は
ひとつ手前の”Entschuldigung”を丁寧にした
Entschuldigen Sie bitte(エントシュルディゲン・ズィー・ビッテ)”が王道の表現です。

ちなみに“Entschuldigen”は直訳で「許してください」という意味で、
“Entschuldigung”はその名詞化したものになります。

“Tut mir leid”も”Entschuldigung”も日常生活で必要な言葉なのでもちろん私も使いますが、
前者の”Tut mir leid”だけはいまだに好きになれないのです。

横柄で冷たいドイツ人店員の話

さて、ここからはちょっぴり愚痴タイム。

先日フラウエン教会付近のアクセサリーショップで60€のネックレスを購入したのですが、
なんとものの2週間(着用回数は10回も満たしません)で壊れてしまったのです。

かなり丁寧に取り扱っていたのに、
いきなりチェーンがちぎれてしまうのはさすがにおかしいと思い、
先週末修理のお願いをするためにお店に行ってきました。

そしたらなんと…

残念だけど、それは直せないわ。だってチェーン本体がちぎれてるもの。」

「あなたがマフラーに引っ掛けでもして強く引っ張ったんでしょ?
残念だけど取り換えも無理よ。ごめんなさいね~

の一点張りで、こちら側の主張を聞こうとしません。

いやいやマフラーに引っ掛けてないし、そもそも強く引っ張ってもないです。

その冷たくて強気で横柄な態度にカッチーンってきました。

私は怒りがこみ上げると泣いてしまうタイプなので、そうそうに店を去りましたが、
本当にあの店員は酷かった…。

その時にしきりに言われた言葉が“Tut mir leid”だったんですね。

しかもどっちかと言うと、「すみません」ではなく「残念です」のニュアンス。

いやいやもう、謝る気ゼロじゃん!何が「残念です」だよ~!!!

もう少し誠心誠意対応してくれてもいいじゃないか、と思いました。

「残念です」だけじゃ全然謝られた心地がしません。まるで他人事のようです。

Tut mir leidは謝る時以外にも使う

ここで厄介なのが、”Tut mir leid”の汎用性。

実はこの表現は謝る時以外にも使うシーンがあります。

それは文面通りの「残念だと思っています」と言いたい時。

例えば友達が彼氏と別れてしまったり、試験に落ちてしまった時にも
“Tut mir leid”という表現を使います。

これには「かわいそうに思ってる」のような同情のニュアンスが含まれます。

これじゃ”Tut mir leid”の汎用性が高すぎて、ますます好きになれません。

私にはどうも、都合がよすぎる言葉に聞こえて仕方がないのです。

私はドイツ語ネイティブではないので、
同情や謝罪といった、感情のこもった表現を同じ”Tut mir leid”で片付けるのに
妙な違和感というかやりきれなさを感じてしまいます。

謝罪の仕方も異文化体験

後半はなんだかドイツやドイツ語の愚痴みたいになってしまいましたが、
広い視野で見れば、これも異文化体験のひとつなんですよね。

わたしは自分の意思でドイツ語を学び、ドイツで就職したので、
“Tut mir leid”という言葉ひとつをめぐって苦しむのも自業自得。

いまだにアクセサリーショップの店員は許せませんが、
私も時間とともにドイツ流の”Tut mir leid”の感性を身につけていけたらなと思います。